Joacim Cans
ヨアキム カンス
Vocal
1970年2月19日、スウェーデンのMora生まれ。
競泳の選手だったヨアキム少年は14歳の時にメタルに目覚めます。初めはギタリストでイングヴェイみたいになりたかったそうですが、ボーカルが見つからず仕方なく兼用でやったボーカルがハマりボーカリストに。紆余曲折あり何もかも捨ててアメリカの音楽学校に1年間留学しボーカルを学びスウェーデンに帰ってくるとメタルが廃れていた。また音楽から離れていた頃、コンテストに出るがボーカルがいないので助けてくれと一本の電話が。それがHammerFallでした。
もっと詳しく意訳したものはこちら。
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オフィシャルサイト
Oscar Dronjak
オスカー ドロニャック
Guitar
1972年1月20日、スウェーデンのモーランド生まれ。
『俺の最初の音楽体験は他の多くのスウェーデン人同様、アコーディオンだったんだ。14才でギターを弾くまでに、4年間トロンボーンも経験したよ。その後ほどなくして、Hippie Killersという初めてのバンドを組んだんだ。俺達はStrikerに名前を変えて、初めてHEAVY METALのカバー曲を弾いて、曲を書いたんだ。
1989年に俺がソングライターとしてやるバンド、デスメタルバンドのDesecrator(後のCeremonial Oath)を見つけたんだ、ボーカルと助っ人のギタリストでね。俺達は“The Book Of Truth”を録音したけど、リリース前に音楽性の違いでバンドは休止してしまった。
そして初期HammerFallは始まるんだ。俺がサッカーで右腕を骨折した時に仲間と書いた、4年間俺が書いていた初めてのHEAVY METAL の曲、
「Steel Meets Steel」
のリハーサルを始めた。録音した後、Crystal Ageによる新しいデスメタルバンドもやっていた。ポーランドのミニツアーとメタリカのトリビュートアルバムの“Metal Militia"を含めて、オランダのレーベル、Vic Recordsとすぐに契約したよ。1995年の4月に“Far Beyond Divine Horizons”、他にもコンセプトアルバムも録音したけど、俺たちがコントロール出来ないところが原因で1996年の秋までリリースされなかったんだ。それによって、メンバー全員の関心が薄れてしまって、Crystal Ageは解散してしまったんだ。幸い俺はHEAVY METALの炎を燃やし続けるようにHAMMERFALLを続けていた。
96年の5月、ヨアキムがバンドのボーカルで加入し、その後すぐにレコード会社と契約したんだ。再度、Vic Recordsは信用できる会社だったんだ。11月にGLORY TO THE BRAVEを録音して、あとはまぁ、言われてるような、歴史だね。』オスカーより。
Pontus Norgren
ポンタス ノルグレン
Guitar
1968年4月22日、スウェーデンのストックホルム生まれ。
『兄が持っていたThin Lizzyのアルバムに影響を受けて若干12歳でギターを手にとったんだ。
ストックホルムにある歌やその他の楽器でも有名な学校に通っていたけど、特に俺のなかで燃えるようなクラシカルな音楽はなかったんだ。そうその燃えるような音楽とは、二人の友達と初めて作ったロックバンドでやったメタルだったんだ。
数年といくつかのバンドを経験して俺は才能がある若くて意欲的なミュージシャン数人とGreat King Rat をというバンドを作った。
バンドは有名になったけど一連の不運な事故と深刻な管理上の問題のためにバンドは90年代初期に分裂して離ればなれになってしまった。
その後に俺はThe PoodlesのリードボーカルのJakob SamuelとStefan Molander (Gemini Five) とMarcus Jidell (Royal Hunt)からなるJekyll And Hydeに加入した。
その間、Marcel Jacob やJeff Scott Sotoと一緒にTalismanでもギターを弾いたよ。
そうしながら作曲や自己プロデュースの両方をやったソロアルバムのための時間をなんとか見つけた。
BIGで有名なバンドのサウンドエンジニアやプロデューサーとしてもたくさんやって良い評価もうけてきた。Candlmass, Glenn Huges, Europe, Yngwie MalmsteenそしてTwisted sister などほかにもたくさん。
古い友人のMarcus JidellとJakob Samuelと"The Ring"というバンドを作ってMotorhead と Sepulturaとツアーをした、愛しい記憶に残るツアーだよ。
2006年に再度ヤコブによってつくられたバンドに参加した。スウェーデンのメタルバンド、The Poodlesだ。
同年俺達はユーロビジョンソングコンテストに参加した、4位だった。
これは二つの成功したアルバム同様、精力的なスウェーデンとヨーロッパの2年間のツアーに繋がったんだ。
2008年にHammerFallからオファーがあった、すぐに飛び付いたよ。俺を切り替えてくれた親友と一緒に演奏する機会に繋がるチャンスだった。
そして今がある!!』
ポンタスより。
Fredrik Larsson
フレドリック ラーション
Bass Guitar
1974年8月14日、スウェーデンのリンドメ生まれ。
『ピアノを始めたけど音符の読み方を習うことは我慢できなかったし、学校で演奏する曲もそんなにハードコアではなかったんだ。俺はロックがしたかったんだよ!当然、親父のギターを拾い上げて、AcceptやMetallica、Iron Maidenなど俺のアイドル達の曲を弾き始めたよね。友達と一緒に演り始めて、まじでほとんどのバンドがペーシストを探してた。ギタリストやドラマーはたくさんいるんだけど、誰もベースに触ってなかったんだ。俺はすぐに(楽器バートを)切り替えたし、ずっと後悔してないよ!12才のクリスマスに自分のベースを手に入れたんだ。また違う友達とたくさん演奏したよ、初めて組んだパンドはBlack Masterというパンドだったと思う。演奏は難しかったけど、めっちゃくちゃ楽しかった!! 93年にオスカーに出会ってChystal Ageに加入したんだ。"Far Beyond Divine Horizons"&翌年レコーディングしたけど、発売が遅れてから興味がなくなってしまったんだ。その後すぐにオスカーがHammerFalに入りたいかって聞いてきたんだ。それからは知っての通りで、 "Glory To The Baveを録音してすぐに辞めた色々あったんだけど、俺はその時スラッシュデスメタルをしたかったんだ。だからバンドにとってベストな形で脱退して、HammerFallに100%打ち込める人に席をあけたんだ。10年間俺は色んなバンドをした、None, DeathDestruction, CansそしてEvergrey…でもあまりアルバムは出さなかったな。ヨアキムからHammerFall再加入に興味があるかという話が来たとき、躊躇しなかったね。脱退したことに後悔はしないけどこのチャンスを逃したら俺は俺自身を許さなかっただろうね。』
フレドリックより。
David Wallin
デビッド ワーリン
Drums
1976年5月14日、スウェーデンのストックホルム生まれ。
Davidは7才の時に色んな音楽の先生からレッスンを受け始める。
ドラムはSollentuna Jazz Workshop という音楽学校でレッスンを受ける。
それからStockholm Music Conservatory(音楽大学)とMusikerlinjen(音楽学校)など学び続けた。
1993年にStockholm Musical Conservatory(SMC)で正規の学生として受け入れられる。
SMCで3年間学んだあと、RMLで一年間学び、プロテクニシャンとしてツアーを開始。
数年間たくさんのバンドと演奏した。
Blacksmithや Stormwind そしてPAINといったバンドのアルバムにも参加した。
Davidはまたショウデザイナー、プログラマーやシューターとして、
ヨーロッパをリードするパイロ会社Unique Pyrotechnicでも活躍。
Europe, Motörhead, Poison, Dio, Twisted Sister, Venom, In Flamesなどなど、たくさんのバンドと一緒に働いていたことも。
‘’ドラムパッドを使ったシューティングパイロは無限に可能性を広げる。‘’
PAINで活躍していたDaivid、ある夜にバーで友達に「ハンマーフォールからドラムのオファーがあったけど断った」と聞いて、
すぐに知り合いだったポンタスへ「仕事が欲しい」とメール。2日後にヨアキムとポンタスとミーティングし、翌朝にはメンバー
になっていたそうです。そのほか、ファンの質問に沢山答えてくれました!↓
https://www.hammerfallfanjp.net/david